根来寺

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岩出のお話

岩出という地名

岩出はむかし岩手と書きました。石出はすなわち巌出であって、この地が紀の川の南北両岸北は岩出御殿山とも奇巌が突出していたので、その名が起こったといわれています。
慶長年間の検地帳には岩手と書かれているが、享保十一年(1726年)命によって改めて、岩出の文字を用いるようになりました。

根来寺と覚鑁

覚鑁(かくばん)が根来寺の開祖たる地位を得たのは、大治五年(1130年)上人が伝法院をまず高野の地に創建したのに始まっています。上人が高野での暴動を退避して根来の地に来、永治元年(1141年)寺を再興して一乗山円明寺と改称し、この地で入寂(にゅうじゃく)したからといわれています。その円明寺は鳥羽上皇の時に勅願所となり、その約140年後の伏見天皇の正応元年(1288年)には、伝法院を高野より根来に移しています。

覚鑁

覚鑁上人は真言宗の中興の祖と仰がれる高僧で、弘法大師から約300年後の嘉保二年(1095年)、九州の肥前国に生まれました。
興味深いエピソードといして、『鳥羽上皇が病気の時に、夢に覚鑁上人らしい人を見て病状が癒えたので、院宣(いんぜん)で高野山に伝法院を興させて丈六の仏像を安置し、学侶36人を置かせた』というものがあります。