伝統食である蜂の子の歴史
蜂の子は、古くから貴重なタンパク源として食べられてきました。中国や日本では薬としても利用されてきた歴史があります。
現在の日本では蜂の子は一般的な食べ物ではありませんが、大正時代には全国的に蜂の子が食べられていました。
日本の伝統食ともいえる蜂の子の歴史をご紹介します。
蜂の子は古くから世界中で食べられてきた
蜂の子は、蜂の幼虫やサナギです。現在の日本では昆虫食は一般的ではありませんが、昆虫は古くから人間の食料とされてきました。
蜂の子を食べる習慣は世界的にも珍しいものではなく、タイ・中国・ベトナム・メキシコ・エクアドル・ルーマニアなどの世界中の国で、蜂の子が古くから食べられています。
薬としても利用されてきた歴史がある
蜂の子は、食料としてだけでなく薬としても古くから利用されてきました。
中国最古の薬物書である『神農本草経』では、蜂の子が最高ランクの養命薬として紹介されています。日本の漢方医学は中国伝統医学に大きな影響を受けており、日本でも漢方薬として蜂の子が古くから利用されてきました。
日本の蜂の子の歴史
蜂の子は、日本においても古くから食べられていたと考えられています。
しかし、日本人の昆虫食に関する記述が文献にみられるようになるのは、江戸時代以降です。
江戸時代の書物に蜂の子に関する記述がある
蜂の子に関する記述のある江戸時代の書物には、1712年の『和漢三才図会』、1803年の『本草紀聞』、1850年の『想山著聞奇集』などがあります。
これらの書物には、当時スズメバチ類の蜂の子が一般的に食べられていたことが記されています。
中でも『想山著聞奇集』には、現在の岐阜県美濃地方や長野県木曽地方で、客をもてなす料理として蜂の子が提供されていたことが記載されています。これらの地域では、現在も蜂の子が一般的に食べられています。
明治・大正時代は全国的に食されていた
明治時代になると、日本の食文化が大きく変化しました。その変化の中でも、蜂の子は全国的に食べられていたと考えられています。
明治時代末期に蜂の子の缶詰が発売
1910年(明治43年)頃に、長野県の実業家が佃煮にした蜂の子の缶詰を製品化しました。蜂の子の佃煮の缶詰は、現在も販売されている人気商品です。
蜂の子の缶詰は大ヒットし、蜂の子の需要の高まりによって、当時クロスズメバチが大幅に減少しました。
大正時代には全国で食べられていた
1919年(大正8年)に、当時の政府機関によって昆虫食に関する大規模なアンケート調査が行われました。この調査によって、当時の日本では北は北海道から南は沖縄まで、全国的に蜂の子を食べる習慣があったことが確認されています。
また、現在も食されているクロスズメバチ・オオスズメバチのほか、現在はほとんど採取されないアシナガバチも当時は食べられていたことが報告されています。
(参考URL)
蜂の子の歴史
https://www.turkey-now.org/kiji55.html
蜂の子の歴史について
http://www.sobuensen.rash.jp/history.html
現在は一部地域の郷土料理
戦後の経済成長や物流システムの発達によって、日本の食文化は大きく変化しました。
それに伴って蜂の子を食べる地域は減少しましたが、現在も岐阜県や長野県を中心とした山間部で蜂の子を食べる習慣が根強く残っています。そうした地域では、蜂の子が郷土料理として定着しています。
蜂の子は、現在は一般的な食べ物ではありませんが、古くから食されてきた伝統食です。
伝統的な食文化を体験する意味でも、いちど蜂の子を食べてみることをおすすめします。
(参考URL)
蜂の子を使った各地の郷土料理
http://jinjutsu.jpn.org/regional.html
蜂の子を使った郷土料理
http://www.belarus-online.com/march8/
ハチの子の豆知識
https://xn--u9jwc973ph34a6dhgl8a.com/3.html